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東京高等裁判所 昭和29年(ネ)272号 判決 1958年2月05日

控訴人 被告 国 代表者法務大臣 中村梅吉

指定代理人 岡本元夫 外四名

被控訴人 原告 タンガロイ工業株式会社

訴訟代理人 中沢喜一 外一名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張の要旨は、被控訴代理人が、「民法第四七八条にいわゆる債権の準占有者とは、自己のために債権を行使する者、すなわち自ら債権者であると称して債権を行使する者をいい、債権者の代理人として本人のため債権を行使する者を包含しないものと解すべきである。本件の場合、三田元彦と称する者は、被控訴会社の代理人として本件物品代金債権を行使したのであるから、東京特別調達局の同人に対する本件物品代金の支払は、債権の準占有者に対する弁済として有効であるといえない。」と述べた外は、原判決の事実に記載するとおりであるから、これを引用する。

当事者双方の立証及び認否は、左記の外は、原判決の事実に記載するとおりであるから、これを引用する。

被控訴代理人は新らたに、当審における証人町田欣一及び同山田元彦の証言並びに鑑定人大西芳雄及び同米田米吉の鑑定の結果を援用し、乙第一〇及び第一二号証の各一、二の成立を認める。乙第七号証の表面部分の成立を認め、その裏面部分の成立を否認し、乙第九、第十一、第十三号証の成立は不知、なお乙第一二号証の一、二中のインクによる筆跡が山田元彦の自筆によるものであることは認める、と述べた。

控訴代理人は新らたに、乙第七号証、(第八号証は欠)、第九号証、第一〇号証の一、二、第一一号証、第一二号証の一、二及び第一三号証を提出し、当審における証人堤英雄、同清水繁夫、同鈴木敏郎、同古川平八郎、同信田成一及び同今井昭英知の証言並びに鑑定人大西芳雄の鑑定の結果の一部(同人作成の昭和三〇年一月一六日附鑑定書の鑑定主文第二ないし第四項に記載された鑑定の結果)及び同石井敬三郎の鑑定の結果を援用し、なお乙第一二号証の一、二中のインクによる筆跡は山田元彦の自筆によるものである、と述べた。

理由

第一、(被控訴会社の代金支払の請求について)

一、被控訴会社が特殊鋼工具類の製造販売を業とする株式会社であつて、昭和二六年二月二八日東京特別調達局(以下単に特調という。)との間に(イ)、チップ、四〇〇個(代金七万一、二五〇円)、(ロ)、ノズル、八〇個(代金九〇万四、〇〇〇円)、(ハ)、バイト、四〇〇個(代金二四万七、三五〇円)(以上物品を総称して、以下単に本件物品という。)を、代金合計一二二万二、六〇〇円で、いずれも連合軍調達物資として追浜兵器廠に納入する契約を結び、同年三月五日その納入を完了したこと、被控訴会社の社員山田元彦が同年七月七日特調に出頭し、本件物品代金の支払請求書に、連合軍からの納品完了の書類を添えて提出したところ、特調経理部経理課の係官がこれを受け付けて、受取人を山田元彦とする受理書番号第四六四一号の支払請求書受理書(乙第二号証、以下番号のみを記載する。)(支払請求書受理書を以下単に受理書という。)をその控と共に作成し、これに同課の課長、総理府事務官塚本麟太郎、受理書発行担当官、総理府事務官平泰治、同鈴木敏郎が記名捺印し、更に平泰治が右受理書とその控とに割印した後、同課の係官が受理書控を手もとにとどめ、右受理書を山田元彦に交付したこと、その後特調から支払の公示があつたので、被控訴会社の社員木村勇が同月一六日午前一〇時頃特調経理部出納課に出頭し、被控訴会社の代金領収書(乙一の二)に、右受理書(乙二)を添えて提出して、本件物品代金の支払を請求したところ、これよりさき同日午前九時頃三田元彦と称する者が特調経理部出納課に現われ、被控訴会社名義の代金領収書(乙一の一)に、受理書を添えて提出し、本件物品代金の支払を請求したので、同課の支払係官が、右請求者は被控訴会社のため本件物品代金を受領する権限があるものと認め、小切手(乙七)を交付して、右代金の支払を済ませたので、被控訴会社の社員木村勇に対しては、既に本件物品代金は支払済みであるとして、その支払を拒絶したこと、は当事者間に争がない。

二、成立に争のない乙第二号証及び乙第一二号証の一、二並びに原審及び当審証人鈴木敏郎、原審証人山田元彦、同獅子島辰男、同古川平八郎及び同平泰治の証言を総合すると、特調における連合軍調達物資の需品契約及び代金支払の手続の概要は、次のようであつた。すなわち、連合軍から特調に対して物資調達の要求があると、特調契約部契約第一ないし第三課において、指名業者をして入札させ、その落札者と需品契約を締結して、契約書を作成する。(本件物品のような品目の需品契約事務は、契約第三課の所管であつた。)業者が需品契約に基いて連合軍に納品を完了すると連合軍から特調及び業者に対して納品受領書等を送付する。業者は特調経理部経理第一課に、代金支払請求書に納品受領書その他の関係書類を添えて提出する。同課では、特調が保管する関係書類に基いて、業者が提出する右書類を調査し、契約当事者、金額等に誤りがないと認めると、特調備え付けの受理書及び同控の用紙(所要事項記入欄を空白にして印刷した一枚の連続用紙)に、あらかじめ受理書発行担当官が受理書番号及び受付記号番号を記入し、課長又は受理書発行担当官が契印したものを、業者に提示し、業者をして、これらに金額、契約名称、受取人住所、氏名等を記入させた後、受理書発行担当官が特調名義の支払期限の日附印を押し、経理部長名義の「書類受領専用」と表示された印で契印した上で、課長及び受理書発行担当官が記名捺印して、受理書及び同控を作成する。同課では、作成された受理書と受理書控とを切り離して、受理書を業者に交付し、受理書控は、代金支払請求書その他の関係書類と共に、経理第二課を経て、経理部長の決済を受け、同部出納課に廻付される。出納課において支払の準備を整えると、支払を公告する。業者が右公告を知つて、出納課に、受理書に添えて業者の代金領収書を提出すると、同課では、提出された受理書と特調が保管する受理書控とを照合し、且つ代金領収書中の業者の印影とかねて届出済みの業者の印鑑とを照合して、誤りがないと認めると、受理書及び代金領収書と引き換えに、代金として、日本銀行あての小切手を交付する。特調においては、以上のような手続で連合軍調達物資の需品契約及び代金の支払が行われていた。

しかるところ、本件の場合、特調が三田元彦と称する者に本件物品代金を支払つた後で調査した結果によると、同人が特調経理部出納課に提出した受理書(乙三の一)は、被控訴会社が特調から交付を受けた受理書(乙二)とは別のものであつたこと、(しかし、後者の受取人欄には、「山田元彦」と記載されているのに対し、前者の受取人欄には、最初「山」と記載し、これを抹消して、「三田元彦」と記載され、後者には、特調経理部経理課長、総理府事務官塚本麟太郎、発行担当官、総理府事務官平泰治、鈴木敏郎の記名捺印があるのに対し、前者には、同塚本麟太郎、同平泰治、古川平八郎の記名捺印がある外は、両者の記載内容が酷似していたこと、)特調には、被控訴会社が交付を受けた受理書(乙二)と符合する受理書控がすりかえられて、三田元彦と称する者が提出した受理書と符合する受理書控(乙三の二)が保管されていたこと、は当事者間に争がなく、原審及び当審証人古川平八郎、同町田欣一、原審証人山田元彦、同木村勇、同地野文雄並びに同柿原太良の証言を総合すると、被控訴会社には、三田元彦と称する社員がいなかつたこと、三田元彦と称する者が提出した受理書(乙三の一)及び代金領収書(乙一の一)並びに特調に保管されていた受理書控(乙三の二)は、いずれもその作成者名義人によつて作成されたものでなく、他の何人かによつて偽造されたものであつたこと、が認められる。

以上の事実によると、三田元彦と称する者は、被控訴会社のため本件物品代金を受領する権限がなかつたことが明らかである。

三、しかしながら、前記偽造にかかる乙第一号証の一及び乙第三号証の一、二を検証した結果及び成立に争のない乙第四号証、原審及び当審証人町田欣一、原審証人古川平八郎及び同平泰治の証言並びに当審における鑑定人大西芳雄及び同米田米吉の鑑定の結果を総合すると、三田元彦と称する者が提出した偽造の受理書(乙三の一)や特調に保管されていた偽造の受理書控(乙三の二)は、いずれも特調備え付けの用紙で作成され、右受理書と同控とには、いずれにも同じく、受理書番号として第四六四一号、受付記号番号としてNB第一七九六号、発行年月日として昭和二六年七月七日、金額として一二二万二、六〇〇円、契約名称としてJPNB一四〇四-三三二、受取人住所として東京都千代田区神田鍛冶町一の二、受取人氏名として三田元彦と記載され(但し、右受理書(乙三の一)の受取人氏名は、最初「山」と記載され、後にそれが抹消されて、「三田元彦」と記載されていることは、前記のとおり。)しかも右記載はすべて同一人の筆跡であること、またいずれにも、特調名義の「昭和二六年八月五日」の支払期限の日附印が押され、受理書発行担当官として、古川平八郎名義の記名捺印があり、三田元彦の記名下には「三田」とした小判型の捺印があるばかりでなく、右受理書と同控とは、特調経理部長名義の「書類受領専用」と表示された印及び平名義の印で契印され、しかも平泰治及び古川平八郎名義の右捺印又は契印は、同人等の印で押された印影であり、右日附印及び「書類受領専用」と表示された契印は、特調備え付けの印で押された印影であること、平泰治及び古川平八郎は当時特調経理部経理第一課における受理書発行担当官であつたこと、三田元彦と称する者が提出した偽造の代金領収書(乙一の一)中の被控訴会社及び同会社取締役葛巻一郎名義の印影が、かねて同会社から特調に届け出済みの社印及び代表者印の印鑑(乙四)と同一であり、なお右代金領収書には三田名義の捺印があること、が認められる。そして、特調経理部出納課の係官が、三田元彦と称する者に本件物品代金を支払つた際、同人が提出した受理書(乙三の一)及び被控訴会社名義の代金領収書(乙一の一)は形式的に欠けるところがなく、右代金領収書中の被控訴会社及び同会社取締役葛巻一郎名義の印影を被控訴会社から届け出済みの印鑑(乙四)と照合したが、相違なく、また右受理書は特調に保管されていた受理書控(乙三の二)と完全に符合すると認めたので、三田元彦と称する者は、被控訴会社の代理人として本件物品代金を受領する権限があるものと信じて、前記小切手を交付して、右代金を支払つたことは、当事者間に争がなく、しかも以上認定の事実に徴すると、出納課の係官がそう信じたことにつき、過失はなかつたものと認定するのが相当である。

してみると、特調の三田元彦と称する者にした本件物品代金の支払は、債権の準占有者に対する善意無過失の弁済として、被控訴会社に対してその効力を有するものといわなければならない。

四、被控訴会社は、「三田元彦と称する者が提出した受理書と符合する受理書控を偽造し、これを、被控訴会社が交付を受けた受理書と符合する受理書控とすりかえたのは、特調の係官であるから、三田元彦と称する者に対する本件物品代金の支払につき、特調が善意であつたとはいえない。」旨を主張するのである。

(1)、被控訴会社が主張するように、三田元彦と称する者が提出した偽造の受理書(乙三の一)には、被控訴会社が交付を受けた真正な受理書(乙二)と同じ受理書番号が附され、特調経理部経理課長の外、受理書発行担当官の記名捺印があることは、既に述べたとおりであるばかりでなく、前掲乙第二号証及び乙第三号証の一、二によると、右偽造の受理書及び同控(乙三の一、二)には、真正な受理書(乙二)に同じ受付記号番号、発行年月日、金額、契約名称等が記載されていること、が認められ、(2) 、偽造の受理書及び同控(乙三の一、二)は、特調備え付けの用紙で作成され、それらには、特調備え付けの特調名義の支払期限の日附印及び経理部長名義の「書類受領専用」と表示された印並びに受理書発行担当官であつた平泰治及び古川平八郎の印が押されていること、偽造の受理書控(乙三の二)が真正な受理書とすりかえられて、特調に保管されていたこと、は既に述べたとおりである。

以上の事実からすると、受理書及び同控を偽造し、受理書控をすりかえるというような行為は、特調の内部の者すなわち職員の方が、外部の者よりは、比較的容易になし得たであろうとは考えられるのであるが、そうだからといつて、以上の事実だけから、直ちに、特調の内部の者でなければ、このような行為はなし得なかつたものと断定することはできない。まして後記認定に徴するときは、なお更である。すなわち、(一)、原審及び当審証人古川平八郎、原審証人平泰治、当審証人今井昭英知並びに同鈴木敏郎の証言によると、(1) 、偽造の受理書及び同控に捺印されている平泰治の丸型の印は、同人が常時身につけていたが、時には同人の机のひきだしの中にしまつて置くこともあり、同人の小判型の印や古川平八郎の印は、同人等が執務中は机の上に出して置き、退庁後は各自の机のひきだしの中にしまつて置いたこと、(2) 、特調名義の支払期限の日附印及び経理部長名義の「書類受領専用」と表示された印は、経理第一課の窓口係官の机の上かカウンターの上に置かれていたこと、(3) 、受理書及び同控の用紙は、特調経理部庶務掛の係官がその室の戸棚に保管していたが、その戸棚には鍵の設備がなかつたこと、(戸棚に入り切らないときは、戸棚の上にのせて置くこともあつたこと)、経理第一課の係官が、庶務掛から右用紙を受け取ると、同課の前の廊下(通路)の柱の蔭にある戸棚の中に保管していたが、その戸棚にも鍵がかけてなかつたこと、(4) 、受理書控は、代金支払請求書その他の関係書類と共に、クリップ(紙挾)でとめ又は紙紐で結んで、経理第一課から経理第二課等に廻付された後、通常は金庫の中に保管されたが、退庁時が迫つたときなどは、経理第二課に廻付されないで、経理第一課の係官がこれをその室の戸棚の中にしまい、又は机のひきだし(鍵の設備がなかつた)の中にしまつて、帰宅することもあつたこと、が認められ、これらの事実によると、特調における受理書及び同控の用紙、特調の庁印、受理書発行担当官の印及び受理書控その他の関係書類の保管が盗用のおそれがない程厳重であつたとは考えられぬし、(二)、また原審及び当審証人堤英雄並びに原審証人平泰治及び同木村武夫の証言によると、当時業者の中には、特調契約部契約第一課及び経理部経理第一課等の室内(執務場所)に無断で出入りする者が少くなく、それらの者の中には、特調における事務の取扱に精通する者もいたこと、が認められるのであつて、以上の事実に徴すると、本件の受理書及び同控の偽造や受理書控のすりかえが、特調の外部の者には、絶対にすることができなかつたと断言することができないのである。

なお附言するに、原審及び当審証人町田欣一並びに原審証人地野文雄は、「三田元彦と称する者が提出した偽造の代金領収書(乙一の一)に打字されたタイプライターの活字と同形の活字を使用するタイプライターが特調に二、三台あつた。」との趣旨を証言し、原審及び当審証人山田元彦並びに原審証人木村武夫の証言によると、当時業者は、特調と需品契約書を作成するため、それに必要な業者の印を特調契約部契約調に持参することがあるが、その際業者が自ら契約書に捺印しないで、便宜上同課の係官に印を渡して捺印してもらうことがしばしば行われており、本件物品の需品契約書を作成する際にも、被控訴会社の社員山田元彦が被控訴会社の社印及び同会社取締役葛巻一郎の印を持参し、特調契約部契約第三課の係官にこれを渡して、右契約書に捺印させたこと、が認められ、(この認定に反する原審証人堤英雄及び当審証人清水繁夫の証言は採用しない。)、これらによると、本件の被控訴会社名義の代金領収書(乙の一)を偽造したのは、特調の内部の者であり、ひいては特調の内部の者が右領収書と共に本件の受理書及び同控をも偽造したのではないかと、疑えないこともないようである。しかし、前記町田欣一及び地野文雄の証言は、原審証人堤英雄の証言及び当審における鑑定人大西芳雄の鑑定の結果に比照すると、必しも信用することができないのみならず、当審証人町田欣一の証言によるまでもなく、右代金領収書に打字されたタイプライターは当時特調以外にも相当備え付けられていたものと考えられるので、前記町田欣一及び地野文雄の証言によつては、右代金領収書が特調備え付けのタイプライターで打字されたもの、従つてそれが特調の内部の者によつて偽造されたものと認定することは困難である。また山田元彦が特調契約部契約第三課の係官に、本件物品の需品契約書に捺印させるため、被控訴会社の社印等を渡したことがあつたからといつて、そのことだけで、その機会に、特調の内部の者が被控訴会社の社印等を冐用して、右代金領収書を偽造したものと速断することもできない。

以上の次第であり、他に、特調の内部の者が本件の受理書及び同控を偽造し、受理書控をすりかえたとの事実を認めるに足りる証拠がないから、このような事実の存在を前提として、三田元彦と称する者に対する本件物品代金の支払につき、特調が善意でなかつたとの被控訴会社の主張は理由がない。

五、被控訴会社は、「特調における受理書及び同控の用紙、庁印、担当係官の印並びに受理書控の保管に欠くるところがあり、部外者をして本件の受理書及び同控の偽造ないし受理書控のすりかえを可能にさせたことについて、特調の係官に重過失があつたものというべく、従つて特調は、三田元彦と称する者に対する本件物品代金の支払につき、善意を主張することはできない。」旨を主張するのである。

特調における受理書及び同控の用紙、庁印、受理書発行担当官の印並びに受理書控その他の関係書類の保管が必しも厳格でなかつたことは、既に述べたとおりである。しかし、そのことから、特調経理部出納課の係官が、三田元彦と称する者に本件物品代金を支払つた際、本件の受理書及び同控(乙三の一、二)が偽造され、受理書控がすりかえられていたこと、従つて三田元彦と称する者が被控訴会社のため本件物品代金を受領する権限を有しなかつたことを知り、又は知らなかつたことにつき過失があつたものと認定することは不可能であるから、被控訴会社の右主張は理由がない。

六、被控訴会社は、「三田元彦と称する者が提出した代金領収書(乙一の一)は、あらかじめ白紙に被控訴会社の社印及びその代表者の印を押して置き、これにタイプライターで文言を打字して、作成されたものであるが、このことは、特調の係官が、支払の際、文書の裏側から見るなど少し注意すれば、容易に発見し得たはずであるから、三田元彦と称する者に対する本件物品代金の支払につき、特調に過失があつた。」旨を主張するのである。

原審及び原審証人町田欣一並びに当審における鑑定人大西芳雄の鑑定の結果によると、右代金領収書(乙一の一)は、はじめ白紙に被控訴会社の社印及びその代表者葛巻一郎の印を押して、その後のタイプライターで文言を打字して、作成されたものであることが認められるが、右証言によると、本件事故発生の直後、警視庁の技官が八〇倍ないし一〇〇倍の顕微鏡で調べてみて、右のような事実を発見したことが調められ、このことに、当裁判所が乙第一号証の一(右代金領収証)をその表側と裏側とから調べてみた結果を合せると、特調経理部出納課の係官が、本件物品代金を支払つた際、通常の注意を以てしては、右の事実を発見することは困難であつたであろうと考えられる。のみならず、代金領収書のような文書は、被控訴会社が主張するように、通常は、はじめ紙片に文言を記載し、その後で受取人の印を押して、作成されるものであるが、必しも常にそうとは限らず、はじめ紙片に受取人の印を押し、その後で文言を記載して、作成される場合もあり得るのであるから、仮りに出納課の係官が、右代金領収書ははじめ白紙に被控訴会社の社印等を押し、その後でタイプライターで文言を打字して、作成されたものであることを発見し得たとしても、そのことから、右代金領収書が偽造されたものであることを判定することは困難であつたといわなければならない。故に、右代金領収書の作成方法のことから、三田元彦と称する者に対する本件物品代金の支払につき、特調に過失があつたとの被控訴会社の主張は理由がない。

七、被控訴会社は、「三田元彦と称する者は、被控訴会社の代理人として、同会社のためにする意思を以つて本件物品代金債権を行使したのであつて、自らその債権者としてこれを行使したものでないから、民法第四七八条にいわゆる債権の準占有者にはあたらず、従つて同人に対する特調の本件物品代金の支払は、これを有効とすることができない。」旨を主張するのである。

三田元彦と称する者が、被控訴会社の代理人として、本件物品代金の支払を請求し、これを受け取つたものであることは、既に述べたとおりである。

しかし、民法第四七八条にいわゆる債権の準占有者とは、自己のためにする意思を以て債権を行使する者をいうのであるが(民法第二〇五条参照)、本来債権者の代理人として債権を行使する者は、債権者のためにする意思を有すると共に、代理人として債権を行使することについて、自己の利益が存するのであるから、あたかも物の管理占有におけると同じように代理人自身の準占有が成立するわけであり、従つて債権者の代理人として債権を行使する者も、同条にいわゆる債権の準占有者ということができる。のみならず、民法第四七八条の規定の趣旨からいつても、債権者の代理人として債権を行使する者を同条にいわゆる債権の準占有者から除外すベき理由がない。けだし、同条が債権の準占有者に対する善意の弁済を有効とした趣旨は、真実の債権者でない者でも、取引の通念上債権を行使する権限があると認めるに足りる外観を備える者に対してなされた善意の弁済を有効として、弁済者を保護し、取引の安全と円滑を期したものに外ならないから、この場合、債権者本人として債権を行使する者に対する弁済と、債権者の代理人として債権を行使する者に対する弁済とによつて、弁済者の保護を異にすべき理由がないからである。

本件の場合、三田元彦と称する者が提出した代金領収書及び受理書は形式的に欠けるところがなく、右代金領収書中の被控訴会社及びその代表者名義の印影を被控訴会社から届出で済みの印鑑と照合したが、相違なく、また右受理書は特調に保管されていた受理書控と符合した以上、このような代金領収書及び受理書を提出した三田元彦と称する者は、取引の通念からいつて、被控訴会社の代理人として本件物品代金債権を行使する権限があると認めるに足りる外観を備えた者ということができる。従つて同人に対して特調経理部出納課の係官が善意無過失でした本件物品代命の支払は、債権の準占有者に対する弁済として、有効であるといわなければならない。被控訴会社の右主張は採用することができない。

八、以上の次第で、特調は、既に債権の準占有者と認められる三田元彦と称する者に善意無過失で本件物品代金の支払をしたのであるから、被控訴会社の右代金支払の本訴請求は、失当である。

第二、(被控訴会社の損害賠償の請求について)

一、被控訴会社は、特調の係官が、故意又は過失により、被控訴会社の本件物品代金債権を消滅させ、これによつて右代金と同額の損害を被控訴会社に蒙らせたとし、特調の係官の右不法行為として、第一に、「特調経理部経理第一課の受理書発行担当官である平泰治及び古川平八郎が、被控訴会社が特調から交付を受けた受理書と同一内容の受理書を自ら二重に作成して、これに記名捺印し、又は同人等の補助者が二重に作成した受理書に記名捺印して、不正な受理書を発行した。」旨を主張するのである。

しかしこのような事実を認めるに足りるなんらの証拠もない。むしろ、三田元彦と称する者が特調に提出した受理書には、受理書発行担当官として平泰治及び古川平八郎名義の記名捺印があるが、右受理書は、同人等が作成し、又は記名捺印したものではなく、他の何人かによつて偽造されたものであることは既に述べたとおりであるから、同人等に、被控訴会社が主張するような第一の不法行為が存在しないことは、明らかである。

二、被控訴会社は、特調の係官の右不法行為として、第二に、「特調の係官が受理書控のような重要書類の保管を怠つた」旨を主張するのである。

特調における受理書及び同控の用紙、庁印、受理書発行担当官の印及び受理書控その他の関係書類の保管が必しも万全でなかつたことは、既に述べたとおりである。しかし、被控訴会社の本件物品代金債権が消滅したのは、何人かが受理書、同控及び代金領収書を偽造し、受理書控をすりかえ、三田元彦と称する者が偽造にかかる右受理書及び代金領収書を提出して、特調から本件物品代金を受領したことによるのであつて、特調の係官が受理書控その他の関係書類等の保管を怠つたことと、被控訴会社の右債権が消滅したこととの間には、相当因果関係がないと認めるべきである。すなわち、特調の係官が右の保管を怠つたことが、被控訴会社の右代金債権を消滅させたものとはいえないから、特調の係官に、被控訴会社が主張するような第二の不法行為は成立しない。

三、以上の次第であるから、特調の係官の不法行為を前提とする被控訴会社の損害賠償の本訴請求は、その他の点について判断するまでもなく、失当である。

第三、よつて、被控訴会社の控訴人国に対する本訴請求は、これを棄却すべく、これと趣旨を異にする原判決は不当であるから、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 角村克己 判事 菊池庚子三 判事 吉田豊)

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